島根 三枝子 Blog
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私が務めをやめて1年が過ぎた
やめた大きな理由は人とのかかわりが嫌になったからだ
私らしく、そこに居られなくなった、というのが正直な気持ちだ
だからといってずっと家に居るわけではない
やりたいことのためには外出もする
けれども基本的に閉じこもって居ることには違いない

春になり、たくさんの花が咲き一日に何度となく庭へ出る
花は人と違って答えてくれると言われるが、そんなことはない
花は子育てと同じだという
私もそう思う、が少し角度が違う
手をかければいいという意味ではないからだ
植物は環境・花の性質を整えればいい
すべての人・すべての花はいつか咲きたい、大きくなりたいと思っている

人も植物も適材、適所を生かせばいい
そのためにはよく相手を知ること、心にかけること
むやみにいじくりまわしてはいけない
伸びるものも、咲くものも咲かない

私は咲いている花を見ながら咲かせたかったのか
人に見てもらいたかったのか、思ってみた
いや、そうではなく、そこには咲きたいのだから咲かせたあげようと思ったいる自分が居た
冬に種から育てたスミレの小さな苗をたくさんもらった
おそらく商売にするには捨ててしまうのだろうと思われる、か弱い苗もあった
私はどうにも捨てられず鉢に植えてやった
大きくなれ、枯れるなよと思いながら
見事に咲いてくれた
ずっと見守ってきた
とにかくいとおしい

たとえ子どもであろうと、ひとりの人としてちゃんとつきあってあげたい
邪魔をするおとなが多すぎる
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震災の影響は思いがけないことを多く生んでいる
でもいつもどうりの生活をするしかないこともわかってきた

今まで積み上げてきたものを津波はすべて海へ持っていってしまった
もし私だったらどうするだろうと、思わないわけにはいかない
私には何が残るのだろうか
そのとき絶対失ってはならない、気力は持っていられるだろうか
一時は呆然としてもいい
生きる気力を奮い立たせることができるだろうか

子どもたちは学校へ行くことを希望している
おとなは何か教えることがあるのだろうか
子どもたちは知っているのではないだろうか
何気ない日常の大切さを
生活することの大切さを
家族がいて、仲間のいる生活を
おとなはそんな子どもに支えられているのだ


私たちの時代は学校生活を終了すると仕事をすることが当たり前になっていた
特に男子は一生の仕事についた
やりがいのある、したい仕事に就くことはよいことだと思っていた
けれども、仕事にやりがいをもつことだけが生きることではない
いま人らしい生活をすること、家族を大切にすることが生きることだと知った
それは我が家で新しく家族を作ろうとしている、若者からみえてきた
彼は生活をすることの大切さを震災から学んだという
仕事は生活の一部だという
今の時代楽しい、やりがいのある仕事などないという
仕事となればすべてが大変なのだ
私は資本主義社会の限界が来ているのではないかと感じている

庭の花柄つみをしながら、いつもの生活に感謝し喜びを味わっている
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